清元登子が死去。死因(病名)と告別式・葬式は?経歴と成績(賞金)。現役時代(画像)

スポンサードリンク

清元登子が死去。死因(病名)と告別式・葬式は?経歴と成績(賞金)。現役時代(画像)日本女子ゴルフの名指導者であった、
清元登子さんが、9月16日に亡くなられたそうです。

熊本出身の素晴らしい方が、
またも亡くなってしまいました。

最強のアマチュアとして名を馳せ、
プロに転向した直後にはアメリカツアーで2位になるなど、
現在でいうボクシングの村上選手のような、
世間の注目をさらう、カリスマアマプロでした。

清元登子が死去。死因(病名)と告別式・葬式は?

清元登子さんの葬式などの日程は、
まだ未定のようですが、
その日が来れば、日本中の著名なゴルファーが集結することでしょう。

また、清元登子さんの死因は、
誤嚥性(ごえんせい)だったようです。

清元登子さん(きよもと・たかこ=プロゴルファー、元日本女子プロゴルフ協会長)が16日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎で死去、78歳。葬儀の日取りは未定。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170927-00000053-asahi-soci

清元登子さんが亡くなられたのは16日で、
報道があったのは27日でした。

きっと親族も辛い思いをしたことでしょう。

アマチュアとして国内女子トーナメントを制した73年から、
すでに44年の歳月が流れてました。

当時34歳だった清元登子さんも、
今年で78歳と、歴史を感じます。

清元登子さんが育てた不動選手、大山選手、古閑選手の中に、
清元登子さんの女子ゴルファー魂は存在し続けることでしょう。



スポンサードリンク


清元登子の経歴と成績(賞金)。現役時代(画像)

清元登子さんがプロに転向したのは35歳で、
その前まではアマチュアでプレーされていました。

清元登子さんの元で育った不動選手は、
2005年まで6年連続で賞金女王に輝くなど、
その指導力に注目が集まりましたが、
実は「独学」であったのは意外です。

独自のゴルフ理論を持って、
それをアマチュアはもちろん、
プロの世界で証明したのですから、
ちょっとした哲学者、研究者のようなイメージがあります。

「これ以上アマでやっている意味がない」とプロテストを受け、合格したのは34歳だった1974年。転向当時の目標は、日本女子オープンのビッグタイトル獲得だった。78年大会では女王樋口とプレーオフにもつれ込み、4ホール目にバーディーを奪って勝利。著書「魂のレッスン」で「負ける気はしなかった。サドンデスが続くうちに、よし、こうなったら勝つまでやってやろう、と思っていた」と述懐した。引用元:https://www.jiji.com/jc/article?k=2017092700953&g=spo

清元登子さんは練習の虫であったことで知られ、
一日10時間、12時間、腰が抜けるまで振り続けたなど、
その武勇伝は多くあります。

弟子だった不動選手は、清元登子さんの自宅に泊まり、
1日中、練習三昧の日々を過ごしたそうです。

自分が練習で成長できたということで、
その努力に確信があり、教え子にも伝授。

実際に清元登子さんの元で指導された古閑選手や大山選手も、
プロの世界でツアー上位に食い込むなど、大逆進を見せました。

そんな清元登子さんはもちろん、
「日本ゴルフ殿堂」に入っており、
項目は「レジェンド」となっています。

現在までに日本女子ゴルフ協会の副会長を務め、
業界で、清元登子さんを知らない人はいませんでした。

きっと、告別式などは豪華なメンツが揃うと思いますが、
静かに行いたい方かもしれないので、そこはそっとしておくべきでしょうね!

生涯獲得賞金は「¥64,152,869」で、
優勝回数はLPGAツアー7回など驚異的。

75年から80年まで6年連続で賞金ランクトップ10に入っていました。

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加