金子兜太氏が死去。死因は「急性呼吸促迫症候群」。戦後から平和を訴え続けた

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金子兜太氏が死去。死因は「急性呼吸促迫症候群」。戦後から平和を訴え続けた金子兜太さんといえば、
戦後から活躍された、
日本を代表する俳人です。

学生時代に俳句を習っていた方、
または、俳句関連の本を読んだことがある方は、
一度は金子兜太さんの名前を聞いたことがあることでしょう。

そんな金子兜太さんが、
今年2018年2月20日に、
死去されました。。

金子兜太氏が死去

金子兜太さんが死去された報道は、
21日の深夜にYahoo!ニュースDE報じられ、
多くの方からコメントがついてました。

しかし、実は少し前に時事通信が、
フライングで誤報を出してしまい、
速報を撤回し、謝罪するということがありました。

なので、多くの人が「え?また誤報?」と、
ニュースに内容に疑問を抱いていました。

ファンや身内の人からすると、
ちょっとビックリなことでしたが、
20日に、それが現実になるなんて・・・。

一度誤報が流れたことで、
その名前はさらに大きく広がり、
関心度は高く、多くの方がお悔やみのコメントを残してます。

金子兜太の死因は「急性呼吸促迫症候群」

金子兜太さんが亡くなられた原因は、
「急性呼吸促迫症候群」でした。

 戦後日本を代表する俳人で、前衛俳句運動の中心となり、俳句の可能性を大きく広げた朝日俳壇選者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群で死去した。98歳だった。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180221-00000002-asahi-soci

戦後から長く俳句の活動を続け、
多くのメッセージを世の中に残し続け、
98歳まで元気に生きられました。

辛い時代と、楽しい時代の日本を知っているということで、
金子兜太さんの言葉は、他の俳人とは一味違い、
深くて、ある意味シンプルで、
多くの方々の心を打ちました。

本当はもっともっとたくさんの作品を残して欲しかったですが、
それでも、長く精力的な活動を続けたということで、
その生き様にリスペクトの気持ちが芽生えます。

政治的な発言が刺激的で、
賛否両論があった時期もありましたが、
金子兜太さんの経験と知識を肯定したい人が多数でした。

金子兜太さんのメッセージや伝えたいことが、
もっと簡潔に伝わるように、
今後は、誰かしらが書籍などでまとめるのでしょうか?



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金子兜太のプロフィール

金子兜太さんは1919年に埼玉県に生まれました。

戦前と戦中と戦後を経験した、
数少ない貴重な文化人でした。

旧制熊谷中学を経て、旧制水戸高校文科乙類を卒業。

そして、東京帝国大学の経済学部を卒業されたエリートです。

日本銀行に就職した後、
戦争の時代には海軍経理学校に短期現役士官として入校し、
海軍主計中佐に仕官されました。

トラック島で200人の部下を従え、
幾度も命の危機を迎えますが、
なんとか、生き延びました。

捕虜としてアメリカ航空基地の建設を味わうなど、
その戦争の経験は、他の方々よりも濃厚でした。

そのあとに日本銀行に復職するなど、
一般の社会人としても一流の道を歩みました。

定年の55歳まで銀行マンとして立派に働いた経緯があっての俳人ということが、
何か、すごい説得力を持っていました。

金子兜太の俳句・代表作

金子兜太さんの初めての作品は、
「白梅や老子無心の旅に出る」でした。

高校時代に初めての俳句を書いてとされ、
学生として、社会人として立派にされながらも、
多くの作品を書き続けていました。

代表作には、
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子(『少年』、1955年)
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(『金子兜太句集』、1961年)
彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン(『金子兜太句集』、1961年)
人体冷えて東北白い花盛り(『蜿蜿』、1968年)
暗黒や関東平野に火事一つ(『暗緑地誌』、1971年)
梅咲いて庭中に青鮫が来ている(『遊牧集』、1981年)
おおかみに蛍が一つ付いていた(『東国抄』、2001年)

などがあります。

各年代にしっかりと名作を作っていたということも、
金子さんの素晴らしさだと思います。

ただ、2010年代最後に、
もう一回、何かガツンと来る作品もあれば最高でしたね!

金子兜太の自宅と家族(息子)

金子さんが結婚されたのは、1947年でした。

奥さんの皆子さんも俳人として活躍され、
2006年の3月2日に亡くなられました。

二人の間には1人息子の「真士」さんがいます。

自宅は埼玉の熊谷にあるそうで、
それはきっと立派なおうちだったことでしょう。

息子さんは一般の方なので詳細はわかりませんが、
金子さんが結婚して年齢を考えれば、かなり高齢だと思われます。

俳人の父母を持って、素敵な価値観に触れ続け、
きっと、自分らには想像もできないような経験もされてると思いますが、
親御さんが残した作品の1つ1つを誇りに感じていることでしょう。

自分の親の書いた俳句が、
先の時代にも残り続けるなんて、
すごい素敵なことだと思います。

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