柳家小蝠 死去。死因は肺炎。葬式と告別式は?本名・新井淳一(画像)

スポンサードリンク

柳家小蝠 死去。死因は肺炎。葬式と告別式は?本名・新井淳一(画像)柳家小蝠さんは群馬出身の落語家で、
5代目柳家小蝠 でした。

今年2018年1月5日に、
肺炎で42歳の若さで亡くなりました。

まだ若い落語家の死去に、
多くの落語ファンがショックを受けていますが、
柳家小蝠さんは具体的にどんな方だったのでしょうか?

柳家小蝠さんってどんな人?

柳家小蝠さんが亡くなったのは、
東京都内の病院で、
亡くなって約一週間後に、
落語芸術協会にて発表されました。

葬儀などの詳細は明らかになっていません。

わずか42歳の若さで亡くなられので、
若い層に浸透する前に旅たってしまったのです。

柳家小蝠さんがどんな落語家のか、
調べてみると、かなりの技巧派であることがわかりました。

芸協に昔から知られる、
「芸協噺」を好んで演じ、
その腕前は見事なものだったそうです。

また、人柄も非常によく、
先輩、後輩、関係なしに愛されてたそうです。

芸協も若くて才能ある逸材をなくしたことに、
「悔やまれる」と悲しみを表しています。



スポンサードリンク


得意演目とキャリア

柳家小蝠さんが得意にしていた演目は、
「おしくら」「旅行日記」「親子酒」「蛙茶番」「木乃伊取り」「掛け取り」、
などなどでした。

1994年に高校を卒業した後に、
立川談志さんに入門し「志っ平」という名を得ました。

2001年には立川さんに破門され、
その理由には上納金が絡んでいたそうです。
(落語の世界もいろいろありますね)

その後に10代目桂文治門下に移籍し、
「前助」の改名されました。

前助に改名した3年後に、
文治さんが亡くなると、
兄弟子2代目柳家蝠丸預かり弟子になります。

その後に二つ目昇進を果たし、
師匠蝠丸の前名5代目「小蝠」襲名と、
若くして順調にキャリアを伸ばして行きます。

そして2014年に同名のまま、
真打昇進を果たしました。

しかし、その3年後の今年2018年に、
肺炎のために亡くなってしまったのです。

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加