ジャニー喜多川の姪がジュリー?今さら聞けない喜多川家の家系図を解説

2023年に日本のみならず世界を巻き込んでの騒動となった旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏による性加害問題。

その問題と併せて華麗なる一族?!ジャニー喜多川の家系を徹底調査といった具合で、ジャニー喜多川 家系図も話題となりました。

そこで今回は今更すぎて誰にも聞けない喜多川家の家系図を解説していきます!

ジャニー喜多川の華麗なる家系図

ジャニー喜多川氏は高野山米国別院第3代主監・布教師でもあった喜多川諦道氏の次男として生まれました。

兄の喜多川真一氏はアメリカ航空宇宙局(NASA)でアポロ計画の設計にも携わるほどの科学者でした。

(出典:スポニチ

注目の華麗なる喜多川一族について解説していきます。

華麗なる喜多川一族を解説!

父親は真言宗の僧侶

ジャニー喜多川氏父親は喜多川諦道氏です。

長らく父親についての情報は不確かなものでしたが、2021年12月8日に発行された「週刊文春」によると、高野山真言宗の僧侶として1924年に渡米し、アメリカのロサンゼルスにある真言宗大谷派東本願寺別院で住職を務めていたそうです。

喜多川諦道氏は僧侶として、仏事の他にも婦人会やボーイスカウトを設立するなどさまざまな活動をしていました。そのため、ロサンゼルスの日系社会ではちょっとした有名人で、1933年に日本に帰国をする際には地元で引き止め運動が起こるほど、かなり人望の厚い方だったようです。

終戦後は子ども3人が父を置いて渡米

後述しますが、ジャニー喜多川氏は日本に帰国後まもなく母親を亡くします、そして第二次世界大戦が勃発。父親と離れ、和歌山に疎開しています。

終戦後、再び父親と一緒に暮らしたのかと思いきや、3人の兄妹は父親を日本において子供達だけでアメリカに帰国し、アメリカの高校に入学したそうです。兄はその後アメリカ航空宇宙局(NASA)で技術者として活躍しました。

ジャニー喜多川氏は1955年、24歳の時に日本に帰国し、亡くなるまでジャニーズ事務所社長として芸能界を牽引しました。

母親を早くに亡くす

ジャニー喜多川氏の母親の名前は“栄”です。

ジャニー喜多川氏の兄・真一氏、姉・メリー喜多川氏の3人をアメリカで出産し、日本に帰国しましたが、帰国後すぐに亡くなってしまったのだとか。

さらに太平洋戦争が勃発したため、ジャニー喜多川氏達兄弟3人は母親を失ったショックもそのまま和歌山県に疎開したといいます。当時まだ小学生だったジャニー喜多川氏は相当辛かったと想像できますよね。

兄はNASAの技術者

ジャニー喜多川氏の兄、真一(まさかず)氏はアメリカ航空宇宙局でアポロ計画の設計にも携わるほどの科学者でしたが、1980年代に50代半ばで亡くなったそうです。

真一氏の死因は明らかになっていませんが、50代半ばで亡くなっていることから何らかの病気だったのではないかと言われています。

姉はメリー喜多川で姪は藤島ジュリー景子

ジャニー喜多川氏の姉はジャニーズ事務所の名誉会長を務めていたことでも知られるメリー喜多川氏です。

1927年12月26日生まれでジャニー喜多川氏の4歳年上です。終戦後渡米していたメリー喜多川氏は31歳で帰国し、帰国後に四谷三丁目にカウンターバー「スポット」を開業しました。

そのバーの常連客だったジャーナリストの藤島泰輔氏と内縁関係になり、藤島ジュリー景子氏を授かりました。

ちなみに、メリー喜多川氏と藤島泰輔氏が出会った時には藤島氏は俳人・高浜虚子氏の孫娘・朋子氏と結婚していましたが、朋子氏との離婚が成立する前の1966年に娘の藤島ジュリー景子氏が誕生。まだ離婚が成立していないにも関わらず、メリー喜多川氏、藤島泰輔氏、景子氏の3人でアメリカのフロリダに移住をしました。

1972年に藤島氏の離婚が成立し、1973年にメリー喜多川氏と日本に帰国して再婚。その後、1997年に藤島氏ががんで亡くなるまで添い遂げるという、かなり波瀾万丈な人生を送りました。

最後に

今回はジャニー喜多川 家系図を解説と題して、華麗なる喜多川一族を紹介してきました。

高野山の僧侶の父、NASAの技術者の兄、ジャニーズ事務所名誉会長の姉というまさに華麗なる一族に生まれたジャニー喜多川氏は、その手腕をしっかりと発揮していましたよね。

SMILE-UP.社による性加害問題の被害者に対する補償も進んでおり、芸能界に闇を落とした問題も解決に進んでいるようですし、ジャニー喜多川氏の功績が純粋に評価される日が再び来るといいですよね。

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